日本では報道される機会が少ないビルマ(ミャンマー)に関する外国メディアの報道を翻訳して載せています。
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市場、カジノ、商店そして食料品店は扉を閉ざし、政府軍が8月24日からとどまって以来、コーカンの首都ラオカイは静まり返っている。
匿名を条件に市内のある商人は、「商店はまだ再開されていない。なぜなら、街はまだ政府軍の支配下にあるからだ」と語った。
「ラオカイには10軒のカジノがある。しかし、どのカジノも再開されていないし、スーパーも閉まったままだ」とも語った。
中緬国境の消息筋によると、ラオカイを占領した政府軍の兵士たちはコーカンのビジネスマンたちが所有する商店から物資を略奪したという。
コーカン軍部隊が数日前に放棄した領土を回復するために政府軍と交戦した際に、約3万人のラオカイ住民が中国側へ避難した。
「政府軍部隊が市内をコントロールする限り、商売を再開するのは不可能だ」と商人は語った。
消息筋によると、ラオカイにおける約90パーセントの商売は中国人に握られている。彼らは商売の機会を求めてビルマに移住した連中である。国家民主同盟軍(National Demcratic Alliance Army)、別名モン・ラ・グループの休戦によって支配されていた付近の中国人商人たちも、新たな戦闘を恐れてその地区から避難した。
ビルマ軍事政権と中国側はコーカンの避難民たちに、自宅へ戻るよう通達した。多くは自分の商売と家を守るために戻った、しかし、彼らは商売を再開していないと別の商人は言った。
中緬国境からマンダレーへ商品を運ぶ運送業者たちは、ラオカイの政府軍部隊へ軍事物資を運ぶよう命令を受けたと、マンダレーの業者は語った。
結果的に彼は通常のルートで物を運ぶのをやめざるを得なくなった。
ラングーン在住のビルマ人エコノミスト、キン・マウン・ニョーは、「コーカンでの戦闘は一時的に地方の国境貿易に損害が生じるだろう。しかし、ラオカイは中国との貿易の主要地点ではないので、ビルマ全体から見れば、大きな損害とはいえない」と語った。
(9/1 Irrawaddy News)
匿名を条件に市内のある商人は、「商店はまだ再開されていない。なぜなら、街はまだ政府軍の支配下にあるからだ」と語った。
「ラオカイには10軒のカジノがある。しかし、どのカジノも再開されていないし、スーパーも閉まったままだ」とも語った。
中緬国境の消息筋によると、ラオカイを占領した政府軍の兵士たちはコーカンのビジネスマンたちが所有する商店から物資を略奪したという。
コーカン軍部隊が数日前に放棄した領土を回復するために政府軍と交戦した際に、約3万人のラオカイ住民が中国側へ避難した。
「政府軍部隊が市内をコントロールする限り、商売を再開するのは不可能だ」と商人は語った。
消息筋によると、ラオカイにおける約90パーセントの商売は中国人に握られている。彼らは商売の機会を求めてビルマに移住した連中である。国家民主同盟軍(National Demcratic Alliance Army)、別名モン・ラ・グループの休戦によって支配されていた付近の中国人商人たちも、新たな戦闘を恐れてその地区から避難した。
ビルマ軍事政権と中国側はコーカンの避難民たちに、自宅へ戻るよう通達した。多くは自分の商売と家を守るために戻った、しかし、彼らは商売を再開していないと別の商人は言った。
中緬国境からマンダレーへ商品を運ぶ運送業者たちは、ラオカイの政府軍部隊へ軍事物資を運ぶよう命令を受けたと、マンダレーの業者は語った。
結果的に彼は通常のルートで物を運ぶのをやめざるを得なくなった。
ラングーン在住のビルマ人エコノミスト、キン・マウン・ニョーは、「コーカンでの戦闘は一時的に地方の国境貿易に損害が生じるだろう。しかし、ラオカイは中国との貿易の主要地点ではないので、ビルマ全体から見れば、大きな損害とはいえない」と語った。
(9/1 Irrawaddy News)
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中国当局が、1万人がここ数日のうちにビルマから中国領内に避難したと発表した。中国はビルマに対し、何千人もの難民を中国領内に送り込むようなビルマ軍と少数民族軍との戦闘を解決するよう要請した。
雲南省当局は少数民族軍の敗走後、1万人の人々が緊急の難民キャンプにいると発表した。
中国外務省はビルマに対し、国境地区の安定を維持し、中国人市民の権益保護を求めた。
この動きは、中国と軍事政権との長い同盟のなかでも異例の警告である。
ビルマ国境地区での反乱軍と政府軍との緊張は、極限状態である。
「国境におけるビルマの内政問題である、国境地区の安全確保と安定を冷静に処理することを望む。われわれはまた、ビルマ国内の中国人の安全と権利を保護するよう求める」と中国政府外務省スポークスマンは語った。
何百ものビルマ軍兵士が、シャン州のコーカン地区に広く展開していると報告されている。
ビルマ軍事政権は少数民族の反政府組織に対し、来年の総選挙に向けて、政府の「国境防衛軍」に参画するよう圧力を加えているといわれている。
しかし、ある反乱組織(ミャンマー国家民主同盟軍の離脱組織)は抵抗を示し、選挙の影響力を無効にする試みであると述べている。
ビルマは2010年5月に選挙を行なうと計画しているが、彼らは自由と正当性を手に入れるチャンスがあると、言われている。
雲南省当局は少数民族軍の敗走後、1万人の人々が緊急の難民キャンプにいると発表した。
中国外務省はビルマに対し、国境地区の安定を維持し、中国人市民の権益保護を求めた。
この動きは、中国と軍事政権との長い同盟のなかでも異例の警告である。
ビルマ国境地区での反乱軍と政府軍との緊張は、極限状態である。
「国境におけるビルマの内政問題である、国境地区の安全確保と安定を冷静に処理することを望む。われわれはまた、ビルマ国内の中国人の安全と権利を保護するよう求める」と中国政府外務省スポークスマンは語った。
何百ものビルマ軍兵士が、シャン州のコーカン地区に広く展開していると報告されている。
ビルマ軍事政権は少数民族の反政府組織に対し、来年の総選挙に向けて、政府の「国境防衛軍」に参画するよう圧力を加えているといわれている。
しかし、ある反乱組織(ミャンマー国家民主同盟軍の離脱組織)は抵抗を示し、選挙の影響力を無効にする試みであると述べている。
ビルマは2010年5月に選挙を行なうと計画しているが、彼らは自由と正当性を手に入れるチャンスがあると、言われている。
ミャンマー特別法廷で、国家防御法違反の有罪判決を受けた民主化運動指導者、アウンサン・スー・チーさんの控訴を受け、高裁に当たるヤンゴン管区裁判所は4日午前、控訴状を受理した。
スー・チーさんの弁護団によると、控訴審は18日に開かれるという。
(9/5 日本経済新聞)
スー・チーさんの弁護団によると、控訴審は18日に開かれるという。
(9/5 日本経済新聞)
在日ミャンマー人の活動家たちが8月24日の月曜日にHtay Ooが滞在しているホテルの外で、彼の極秘訪日に抗議する集会を行なった。Htay Ooは議会支持の市民組織であるUSDA(=Union Solidarity of Development Association)の書記である。
デモ参加者たちは、Htay Ooが宿泊している東京のホテルニューオータニの前で革命精神を象徴する「闘う孔雀」の旗を掲げた。
旗は警備員に移動を要求されるまで、中国、日本、タイ、ビルマそしてタイのそれぞれの国旗の間でしばらくの間はためいていた。
「警備員は全く気付いていなかった。なぜなら私たちは午前5時に旗を掲げたからだ。彼らが気付いたのは10時になってからで、そこで私たちは旗を降ろした。
しかし、わたしたちはうまくやり遂げた。私たちの行動は議会を混乱させ、彼らの政治的地位に傷をつけるためのメッセージを送るという意味もある。これは軍政の人権弾圧に対する警告でもある」と活動家は語った。
農業灌漑相Htay Ooは、8月20日に日本に到着し、内密に日本滞在を続けた。しかし、我々Mizzimaは彼がラングーンを発つ前から、彼の訪日を報道した。
また別の場所では、少なくとも80名の在日ビルマ人の民主化運動家たちが、
日本の外務省の前でデモを行い、議会メンバーとUSDAのリーダーを日本政府が入国させたことに対する抗議行動を行なった。
同時に活動家たちは、アウン・サン・スーチー氏の即時釈放と、政治犯の釈放も訴えた。
USDAは基本的には大衆を助けるための市民組織として設立された組織ではあるが、ビルマ国内では、反対者や政治的な反対勢力を押さえつけるために現体制によって使われているとして悪名高い組織である。
USDAのメンバーたちは、伝えられるところによると、2003年にアウンサン・スー・チー氏が行なった地方遊説で、Debayinにおいて車列を連ねて妨害工作を行なった。
一昨年9月の、僧侶主導による反政府デモでは、彼らUSDAのメンバーは議会によって、デモ参加者鎮圧のために使われた。
ビルマ軍事政権の最高実力者、タン・シュエはUSDAの後ろ盾であり、来年の総選挙では中心的な役割を担うことになると考えられている。
(8/24 Mizzima News)
デモ参加者たちは、Htay Ooが宿泊している東京のホテルニューオータニの前で革命精神を象徴する「闘う孔雀」の旗を掲げた。
旗は警備員に移動を要求されるまで、中国、日本、タイ、ビルマそしてタイのそれぞれの国旗の間でしばらくの間はためいていた。
「警備員は全く気付いていなかった。なぜなら私たちは午前5時に旗を掲げたからだ。彼らが気付いたのは10時になってからで、そこで私たちは旗を降ろした。
しかし、わたしたちはうまくやり遂げた。私たちの行動は議会を混乱させ、彼らの政治的地位に傷をつけるためのメッセージを送るという意味もある。これは軍政の人権弾圧に対する警告でもある」と活動家は語った。
農業灌漑相Htay Ooは、8月20日に日本に到着し、内密に日本滞在を続けた。しかし、我々Mizzimaは彼がラングーンを発つ前から、彼の訪日を報道した。
また別の場所では、少なくとも80名の在日ビルマ人の民主化運動家たちが、
日本の外務省の前でデモを行い、議会メンバーとUSDAのリーダーを日本政府が入国させたことに対する抗議行動を行なった。
同時に活動家たちは、アウン・サン・スーチー氏の即時釈放と、政治犯の釈放も訴えた。
USDAは基本的には大衆を助けるための市民組織として設立された組織ではあるが、ビルマ国内では、反対者や政治的な反対勢力を押さえつけるために現体制によって使われているとして悪名高い組織である。
USDAのメンバーたちは、伝えられるところによると、2003年にアウンサン・スー・チー氏が行なった地方遊説で、Debayinにおいて車列を連ねて妨害工作を行なった。
一昨年9月の、僧侶主導による反政府デモでは、彼らUSDAのメンバーは議会によって、デモ参加者鎮圧のために使われた。
ビルマ軍事政権の最高実力者、タン・シュエはUSDAの後ろ盾であり、来年の総選挙では中心的な役割を担うことになると考えられている。
(8/24 Mizzima News)
ミャンマー軍事政権は潘基文(ばんぎむん)国連事務総長に対し、
民主化運動指導者、アウンサンスーチーさん(64)との面会を認
めず、スーチーさん問題に関しては、遠路訪れた国連トップを
事実上門前払いした形となった。軍事政権の厳しい姿勢は、来
年予定される総選挙をスーチーさん抜きで強行する決意を、改
めて国際社会に示したとも言えそうだ。
民主化運動指導者、アウンサンスーチーさん(64)との面会を認
めず、スーチーさん問題に関しては、遠路訪れた国連トップを
事実上門前払いした形となった。軍事政権の厳しい姿勢は、来
年予定される総選挙をスーチーさん抜きで強行する決意を、改
めて国際社会に示したとも言えそうだ。
彼らは選挙が合法的に行なわれる証拠を示す重要な機会を失った」。4日、タンシュエ国家平和発展評議会議長との会談を終えた潘事務総長は同行記者団にそう語り、失望を隠さなかった。
もともと今回の訪問で軍事政権が、スーチーさんや約2000人とされる政治犯の解放に応じる見込みはなく、事務総長も訪問前から「困難な作業になる」と認めていた。一方で、遠来の事務総長に対し、軍事政権が何らかの「手みやげ」を持たせる可能性も指摘されていた。
国家防御法違反に問われたスーチーさんは、裁判で有罪になれば、最長5年の禁固刑となる。しかし国際社会には、激しい批判に軍事政権が配慮し、判決後もスーチーさんを刑務所に収監せず、これまでと同じ自宅軟禁に戻すとの観測も出ている。軍事政権が事務総長に、そういったスーチーさんの処遇を伝えるとの見方があり、米国の人権団体は、「自宅軟禁に戻す妥協策を受け入れてはならない」と事務総長に警告していた。
ところが、蓋を開けてみれば、妥協策どころか最低限の手みやげとなるスーチーさんへの面会すら認められず、この問題での軍事政権の強硬姿勢だけが示された。
来年予定される総選挙は、スーチーさん率いる野党「国民民主連合」(NLD)が圧勝した90年の総選挙結果を「新憲法制定までは受け入れられない」と拒否した軍事政権が、20年かけて進めてきた独自の民主化プロセスの総仕上げとなるものだ。
依然国民の人気が高いスーチーさんに、選挙期間中の自由な行動を許せば、90年選挙の二の舞になりかねない。政権は激しい非難を浴びても、スーチーさん解放に応じない決意を固めていると見るのが自然だ。国際社会がスーチーさん解放にこだわり続ける限り、軍事政権との対話は困難になっている。
(7/5 毎日新聞 バンコク・西尾英之)