忍者ブログ
日本では報道される機会が少ないビルマ(ミャンマー)に関する外国メディアの報道を翻訳して載せています。
2025/04月

≪03月  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  05月≫
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ミャンマー軍事政権は3月11日、国営紙を通じて上下両院選挙法の内容を公表した。

有罪判決を受けた者の立候補を禁じ、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スーチー氏らを選挙から排除した。

同法の制定によって、スー・チー氏率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)
が大勝した1990年の総選挙の結果の失効も宣言した。

10日公表の政党登録法にも、スー・チー氏らの選挙活動を困難にする規程が盛り込まれている。

軍事政権は11日夜、国営放送を通じ、連邦選挙管理委員(委員数17人)を発足させたと発表した。今後選挙日程を決めるとみられる。

一方、軍事政権はスー・チー氏を拘束した2003年5月から続けているNLD地方事務所の閉鎖を解除。

政治犯として有罪判決を受けた党員が多いNLDの影響力が小さくなると判断したとともに、国際社会に公正な扱いをアピールする狙いがあるとみられる。
                   (2010年3/11 日本経済新聞)
PR
自宅軟禁中のミャンマー民主化運動指導者、アウンサンスーチーさん(64)は10月3日、ヤンゴン市内で軍事政権のアウンチー連絡担当相(労相)と約45分間会談した。両者の会談は2008年1月以来。

詳しい会談内容は不明だが、スーチーさんは9月下旬、米政府の対ミャンマー政策転換を受けて軍事政権トップのタンシュエ国歌平和発展評議会議長に「(欧米による)制裁解除へむけ協力する」との手紙を送っており、会談でこの問題について話し合った可能性がある。

軍事政権は2007年9月の反政府デモ武力鎮圧に国際社会の非難が高まったのを受けて、アウンチー氏を連絡役に任命してスーチーさんとの対話を開始。しかし、スーチーさんが内容に不満を表明する形で昨年1月から中断していた。

1年8ヶ月ぶりに両者の会談が実現した背景には、オバマ米政権が、軍事政権への強硬政策を転換して、対話姿勢に転じたことが挙げられる。

スーチーさんは、このままでは自身の解放や来年予定されている総選挙への参加が実現しないまま政権と国際社会との関係改善が進みかねないとの危機感から、政権との対話拒否の強硬姿勢を弱め、タンシュエ議長への手紙発送や、アウンチー氏との会談再開に応じた可能性がある。

一方で軍事政権にとっては、スーチーさんとの対話再開で国際社会に柔軟姿勢をアピールできる。しかし、米政権は10月2日、米国人男性侵入事件の裁判でスーチーさんの控訴を棄却し、選挙期間中までスーチーさん軟禁を継続する姿勢を改めて明確にしたばかりだ。

スーチーさんが国際社会の動きに焦りを深めれば、軍事政権との対話は、政権側のペースで進みかねない。
                          (10/4 毎日新聞)
ミャンマー軍事政権に抵抗し続けてきた民主化運動指導者の
アウン・サン・スーチー氏が一転、軍事政権トップに協力を
呼びかけた。

クリントン米国務長官が23日にミャンマー軍事政権との対話
を進める姿勢を示すなど、米政府がミャンマーとの対話外交
に転じた機をとらえ、弾圧を続けてきた軍事政権の強硬姿勢
に変化を誘おうとする狙いが読み取れる。


軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が、スー・チー氏の申し出を受け入れれば、2002年1月以来の直接対話が実現する。スー・チー氏が提唱する「国民和解」の成否は、民主化プロセスの一環として来年に予定する総選挙への軍事政権の対応が焦点となりそうだ。

スー・チー氏と軍事政権の間の相互不信は根深い。02年の対話後に自宅軟禁を解かれたスー・チー氏が民主化活動を再開すると、タン・シュエ議長は、03年5月に再び拘束して自宅軟禁におき、「国民和解に向けた対話再開は、容易には実現しない」(ヤンゴン外交筋)と見られていた。だが、不信緩和への双方の環境も変化しつつある。

スー・チー氏は、5月、自宅に不法侵入した米国人に面会したことで、国家防御法違反罪に問われ、特別法廷で禁固刑の有罪判決を受けたが、タン・シュエ議長命令で1年半の自宅軟禁に減刑された。スー・チー氏は最近、医師を毎月派遣して欲しいと当局に要請するなど健康面に問題をかかえている模様。米オバマ政権の動きを絶好の機会と考え、相互に歩み寄る形で現状を変えようと模索していると見られる。

軍事政権にとっても、総選挙の結果が国際世論の動向に直結するという事情がある。今のところは民主化勢力抜きで総選挙を進めようとしており、スー・チー氏の姿勢にどう応じるかは、読みきれないが、アジアでも北朝鮮と並ぶ最貧国に転落した現状を変えようと、議長が前向きに応じる可能性もある。
                        (9/26 日本経済新聞)

ミャンマー特別法廷で、国家防御法違反の有罪判決を受けた民主化運動指導者、アウンサン・スー・チーさんの控訴を受け、高裁に当たるヤンゴン管区裁判所は4日午前、控訴状を受理した。

スー・チーさんの弁護団によると、控訴審は18日に開かれるという。
                        (9/5 日本経済新聞)
捕らえられた招かざる客のために、アウンサンスーチー氏は裁判にかけられることになったが、証人は1名だけが認められることになった。

スーチー氏は6年間、自宅軟禁という状態を強いられてきた。彼女はアメリカ人男性が、5月初旬に湖を泳いで彼女の自宅に侵入したために、外国人を宿泊させたという罪で裁判にかけられる。

証人が1名だけ認められたのは、軍政側の裁判が公平であると見せかけたい思惑が潜んでいる。

スーチー氏側の弁護人たちは、彼女との面会の道を閉ざされ、弁護を準備するための時間を与えられないまま裁判に臨むことになる。

現在4人の証人のうち、3人が認められず、それにもかかわらず、検察側からは14名の出席が認められていた。

法廷に立つことを許された唯一の弁護人とともに、政府は、この数日内に事件を包み隠したまま葬り、有罪判決を言い渡すことができるだろう。

27日、ヤンゴンのインセイン刑務所での非公開の面会で、事件の中心人物John Yettaw(53)は、スーチー氏の生命が危険に晒されていることを知らせるために泳いで行ってでも警告したかったと語った。

スーチー氏率いるNLDのスポークスマンNyan Win氏は、AFPに「Yettawは、私は神が求めたから行ったのだ。スーチー氏がテロリストに暗殺された映像が見えた。だから彼女と政府に警告に行ったのだといっていた」と語った。

先週火曜日の調書には、スーチー氏は、彼を警備をかいくぐってやってきたと、一方的に責めた。

裁判は彼女を2010年の総選挙後まで拘留し続けるための策略であると広く海外では非難されている。

彼女は6年間の自宅軟禁後、いったん解放されたあと、再逮捕される形になった。

彼女はYettawの訪問が深夜だったので気がつかなかったが、家政婦により、翌朝知らされた。

もし有罪ならば5年間の拘留となる。

アメリカのオバマ大統領は、火曜日にスーチー氏の即時釈放を要求する生命を発表した。
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
thundergulch
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
アクセス解析
アクセス解析
忍者アド
忍者アド
忍者アド

Copyright © Burma In The Dark~ビルマ報道スクラップ~ All Rights Reserved.
Material & Template by Inori
忍者ブログ [PR]