日本では報道される機会が少ないビルマ(ミャンマー)に関する外国メディアの報道を翻訳して載せています。
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ビルマ政府主導による戦闘終結を含んだ合意が、
南シャン州軍と政府の間で
シャン州の首都タウンジーにおいて締結された。
ビルマ政府と南シャン州軍の代表は、
12月2日、タウンジーにおいて停戦に合意し、
敵対関係の終了を確認した。
政府はまた、カチン独立機構との平和会談にも乗り出した。
この会談に参加した仲裁者の一人は、
「政府と少数民族側の両者は、
平和的な雰囲気の中で会談を行なった」と語った。
先月、停戦合意に際し、
南シャン州軍は以下の要求を出した。
・戦闘停止と停戦合意の明確な意思
・対話を通じた長期にわたる政治的不合意の解決
・地方発展計画の政府側の決意と具体的な方法
・シャン州における麻薬取引における戦闘での協力
・東シャン州のタウンジーとモントンとコーラムにおいて
南シャン州軍連絡事務所の開設。
1996年に、陸軍大佐イワド・サークは、南シャン州軍に
タイビルマ国境で最強の武装勢力であったモンタイ軍(MTA)との
合併を認めた。
彼らのリーダー、クン・サーは、
この地域の麻薬取引を支配していたが、
カネと引き換えに政府側に寝返った。
11月19日、ビルマ政府の平和確立代表団は、
南シャン州軍、カレン国家進歩党(KNPP)、
カレン国家連合(KNU)、チン国家最前線(CNF)ら
4つの少数民族代表団と個別に会い、停戦への道を模索した。
他の少数民族勢力はまだ和平協定に調印していない。
政府の和平代表団とカチン独立機構のリーダーは、
中国南西地方のシュウェリで会談を行ない、
停戦合意に向け会談を行なった。
しかし、両者は合意には至らなかった。
シャン州軍の兵員は、1万人程度であろうと推測される。
過去には彼らは、中国、台湾、米国から
大量の武器を調達していた。
南シャン州軍は、武装闘争を展開していた
シャン州軍の部隊のひとつで、
シャン州軍が戦闘を続けている間も政府に対して、
停戦へのシグナルを送っていた。
シャン州軍は1964年に創建され、
その政治組織であるシャン州進歩党は、
1971年に設立された。
シャン州軍は1989年まで、
反政府武装闘争を続けてきた。
シャン州軍の武装闘争は、
中国が武器弾薬の支援をビルマ共産党から
シャン州軍に替えたことで続けられてきたが、
中国の支援が絶たれた今、
反政府武装闘争は続けられなくなった。
1983年からシャン州軍の司令官を務める
サオ・サイ・レク(Sao Sai Leh)に従う少数の幹部は、
抗戦を主張し、離脱して、クン・サーのモン・タイ軍に合流した。
モン・タイ軍は後にシャン州革命軍を名乗った。
サオ・サイ・レクは1985年に死亡し、
その後クン・サーは政府に投降した。
イワド・サーク(Yawd Serk)率いる
かつてのシャン州革命軍兵士たちは、降伏を拒否し、
南シャン州軍を名乗る他の四散した部隊に合流した。
(2011 12/2 Mizzima)
南シャン州軍と政府の間で
シャン州の首都タウンジーにおいて締結された。
ビルマ政府と南シャン州軍の代表は、
12月2日、タウンジーにおいて停戦に合意し、
敵対関係の終了を確認した。
政府はまた、カチン独立機構との平和会談にも乗り出した。
この会談に参加した仲裁者の一人は、
「政府と少数民族側の両者は、
平和的な雰囲気の中で会談を行なった」と語った。
先月、停戦合意に際し、
南シャン州軍は以下の要求を出した。
・戦闘停止と停戦合意の明確な意思
・対話を通じた長期にわたる政治的不合意の解決
・地方発展計画の政府側の決意と具体的な方法
・シャン州における麻薬取引における戦闘での協力
・東シャン州のタウンジーとモントンとコーラムにおいて
南シャン州軍連絡事務所の開設。
1996年に、陸軍大佐イワド・サークは、南シャン州軍に
タイビルマ国境で最強の武装勢力であったモンタイ軍(MTA)との
合併を認めた。
彼らのリーダー、クン・サーは、
この地域の麻薬取引を支配していたが、
カネと引き換えに政府側に寝返った。
11月19日、ビルマ政府の平和確立代表団は、
南シャン州軍、カレン国家進歩党(KNPP)、
カレン国家連合(KNU)、チン国家最前線(CNF)ら
4つの少数民族代表団と個別に会い、停戦への道を模索した。
他の少数民族勢力はまだ和平協定に調印していない。
政府の和平代表団とカチン独立機構のリーダーは、
中国南西地方のシュウェリで会談を行ない、
停戦合意に向け会談を行なった。
しかし、両者は合意には至らなかった。
シャン州軍の兵員は、1万人程度であろうと推測される。
過去には彼らは、中国、台湾、米国から
大量の武器を調達していた。
南シャン州軍は、武装闘争を展開していた
シャン州軍の部隊のひとつで、
シャン州軍が戦闘を続けている間も政府に対して、
停戦へのシグナルを送っていた。
シャン州軍は1964年に創建され、
その政治組織であるシャン州進歩党は、
1971年に設立された。
シャン州軍は1989年まで、
反政府武装闘争を続けてきた。
シャン州軍の武装闘争は、
中国が武器弾薬の支援をビルマ共産党から
シャン州軍に替えたことで続けられてきたが、
中国の支援が絶たれた今、
反政府武装闘争は続けられなくなった。
1983年からシャン州軍の司令官を務める
サオ・サイ・レク(Sao Sai Leh)に従う少数の幹部は、
抗戦を主張し、離脱して、クン・サーのモン・タイ軍に合流した。
モン・タイ軍は後にシャン州革命軍を名乗った。
サオ・サイ・レクは1985年に死亡し、
その後クン・サーは政府に投降した。
イワド・サーク(Yawd Serk)率いる
かつてのシャン州革命軍兵士たちは、降伏を拒否し、
南シャン州軍を名乗る他の四散した部隊に合流した。
(2011 12/2 Mizzima)
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市場、カジノ、商店そして食料品店は扉を閉ざし、政府軍が8月24日からとどまって以来、コーカンの首都ラオカイは静まり返っている。
匿名を条件に市内のある商人は、「商店はまだ再開されていない。なぜなら、街はまだ政府軍の支配下にあるからだ」と語った。
「ラオカイには10軒のカジノがある。しかし、どのカジノも再開されていないし、スーパーも閉まったままだ」とも語った。
中緬国境の消息筋によると、ラオカイを占領した政府軍の兵士たちはコーカンのビジネスマンたちが所有する商店から物資を略奪したという。
コーカン軍部隊が数日前に放棄した領土を回復するために政府軍と交戦した際に、約3万人のラオカイ住民が中国側へ避難した。
「政府軍部隊が市内をコントロールする限り、商売を再開するのは不可能だ」と商人は語った。
消息筋によると、ラオカイにおける約90パーセントの商売は中国人に握られている。彼らは商売の機会を求めてビルマに移住した連中である。国家民主同盟軍(National Demcratic Alliance Army)、別名モン・ラ・グループの休戦によって支配されていた付近の中国人商人たちも、新たな戦闘を恐れてその地区から避難した。
ビルマ軍事政権と中国側はコーカンの避難民たちに、自宅へ戻るよう通達した。多くは自分の商売と家を守るために戻った、しかし、彼らは商売を再開していないと別の商人は言った。
中緬国境からマンダレーへ商品を運ぶ運送業者たちは、ラオカイの政府軍部隊へ軍事物資を運ぶよう命令を受けたと、マンダレーの業者は語った。
結果的に彼は通常のルートで物を運ぶのをやめざるを得なくなった。
ラングーン在住のビルマ人エコノミスト、キン・マウン・ニョーは、「コーカンでの戦闘は一時的に地方の国境貿易に損害が生じるだろう。しかし、ラオカイは中国との貿易の主要地点ではないので、ビルマ全体から見れば、大きな損害とはいえない」と語った。
(9/1 Irrawaddy News)
匿名を条件に市内のある商人は、「商店はまだ再開されていない。なぜなら、街はまだ政府軍の支配下にあるからだ」と語った。
「ラオカイには10軒のカジノがある。しかし、どのカジノも再開されていないし、スーパーも閉まったままだ」とも語った。
中緬国境の消息筋によると、ラオカイを占領した政府軍の兵士たちはコーカンのビジネスマンたちが所有する商店から物資を略奪したという。
コーカン軍部隊が数日前に放棄した領土を回復するために政府軍と交戦した際に、約3万人のラオカイ住民が中国側へ避難した。
「政府軍部隊が市内をコントロールする限り、商売を再開するのは不可能だ」と商人は語った。
消息筋によると、ラオカイにおける約90パーセントの商売は中国人に握られている。彼らは商売の機会を求めてビルマに移住した連中である。国家民主同盟軍(National Demcratic Alliance Army)、別名モン・ラ・グループの休戦によって支配されていた付近の中国人商人たちも、新たな戦闘を恐れてその地区から避難した。
ビルマ軍事政権と中国側はコーカンの避難民たちに、自宅へ戻るよう通達した。多くは自分の商売と家を守るために戻った、しかし、彼らは商売を再開していないと別の商人は言った。
中緬国境からマンダレーへ商品を運ぶ運送業者たちは、ラオカイの政府軍部隊へ軍事物資を運ぶよう命令を受けたと、マンダレーの業者は語った。
結果的に彼は通常のルートで物を運ぶのをやめざるを得なくなった。
ラングーン在住のビルマ人エコノミスト、キン・マウン・ニョーは、「コーカンでの戦闘は一時的に地方の国境貿易に損害が生じるだろう。しかし、ラオカイは中国との貿易の主要地点ではないので、ビルマ全体から見れば、大きな損害とはいえない」と語った。
(9/1 Irrawaddy News)
中国当局が、1万人がここ数日のうちにビルマから中国領内に避難したと発表した。中国はビルマに対し、何千人もの難民を中国領内に送り込むようなビルマ軍と少数民族軍との戦闘を解決するよう要請した。
雲南省当局は少数民族軍の敗走後、1万人の人々が緊急の難民キャンプにいると発表した。
中国外務省はビルマに対し、国境地区の安定を維持し、中国人市民の権益保護を求めた。
この動きは、中国と軍事政権との長い同盟のなかでも異例の警告である。
ビルマ国境地区での反乱軍と政府軍との緊張は、極限状態である。
「国境におけるビルマの内政問題である、国境地区の安全確保と安定を冷静に処理することを望む。われわれはまた、ビルマ国内の中国人の安全と権利を保護するよう求める」と中国政府外務省スポークスマンは語った。
何百ものビルマ軍兵士が、シャン州のコーカン地区に広く展開していると報告されている。
ビルマ軍事政権は少数民族の反政府組織に対し、来年の総選挙に向けて、政府の「国境防衛軍」に参画するよう圧力を加えているといわれている。
しかし、ある反乱組織(ミャンマー国家民主同盟軍の離脱組織)は抵抗を示し、選挙の影響力を無効にする試みであると述べている。
ビルマは2010年5月に選挙を行なうと計画しているが、彼らは自由と正当性を手に入れるチャンスがあると、言われている。
雲南省当局は少数民族軍の敗走後、1万人の人々が緊急の難民キャンプにいると発表した。
中国外務省はビルマに対し、国境地区の安定を維持し、中国人市民の権益保護を求めた。
この動きは、中国と軍事政権との長い同盟のなかでも異例の警告である。
ビルマ国境地区での反乱軍と政府軍との緊張は、極限状態である。
「国境におけるビルマの内政問題である、国境地区の安全確保と安定を冷静に処理することを望む。われわれはまた、ビルマ国内の中国人の安全と権利を保護するよう求める」と中国政府外務省スポークスマンは語った。
何百ものビルマ軍兵士が、シャン州のコーカン地区に広く展開していると報告されている。
ビルマ軍事政権は少数民族の反政府組織に対し、来年の総選挙に向けて、政府の「国境防衛軍」に参画するよう圧力を加えているといわれている。
しかし、ある反乱組織(ミャンマー国家民主同盟軍の離脱組織)は抵抗を示し、選挙の影響力を無効にする試みであると述べている。
ビルマは2010年5月に選挙を行なうと計画しているが、彼らは自由と正当性を手に入れるチャンスがあると、言われている。
残酷な強制労働と財産の没収に加えて、シャン州のSPDC部隊による家畜の強奪行為が何年にもわたって続いている。
事実上、すべての政府軍部隊は、辺境の前線基地において慣例的に、兵士たちの食糧のために家畜を供出することを、近隣住民に要求してきた。
時には、実際に飼養されている家畜数よりも多くを要求するようなこともあった。
さらに部隊がパトロールする場所でも家畜の供出を要求し、飼い主の意向を無視して、その場で家畜を撃ち殺して持ち去るようなこともしている。
政府軍兵士による家畜の収奪は、長年にわたり人々の暮らしに影響を及ぼしており、住民の困窮状態に輪をかけることになっている。
昨年後半には、免許証所持を義務化し、持っていない者のバイクは没収する手段に出ている。
住民の財産没収は現政権の堕落ぶりを如実に物語るものである。
SODC=国家平和発展評議会 現政権のこと
事実上、すべての政府軍部隊は、辺境の前線基地において慣例的に、兵士たちの食糧のために家畜を供出することを、近隣住民に要求してきた。
時には、実際に飼養されている家畜数よりも多くを要求するようなこともあった。
さらに部隊がパトロールする場所でも家畜の供出を要求し、飼い主の意向を無視して、その場で家畜を撃ち殺して持ち去るようなこともしている。
政府軍兵士による家畜の収奪は、長年にわたり人々の暮らしに影響を及ぼしており、住民の困窮状態に輪をかけることになっている。
昨年後半には、免許証所持を義務化し、持っていない者のバイクは没収する手段に出ている。
住民の財産没収は現政権の堕落ぶりを如実に物語るものである。
SODC=国家平和発展評議会 現政権のこと